世紀末の詩/DETOX (1曲目/D)
こんばんは、Dの方です。前回の記事から大分間が空いてしまいましたが、文章を書く気になったので書こうと思います。
アルバム一枚について書くことも好きだけど、好きな一曲についてだけ書くのも素敵だなと思ったので今回は一曲だけ。(なによりアルバムについて書こうとすると、必要カロリーがとても高いし気合がいる...)
僕はDETOXというアーティストが大好きだ。音楽を一括にしてしまう'ジャンル名’というのはあまり好きではないが、いわゆるポエトリーなんたら、というやつだ。ボーカルとベースの二人組バンドである。
彼らの音楽に選ばれて、使われている言葉は綺麗だ。時に難しく、時に理解し難く、時に伝わりにくく、時にわかり易い、そんな日本語歌詞だ。自分の言葉のようにスッと受け入れられる時もあれば、拒絶してしまいたくなるような言葉を選んでくる時もある。多くを語り過ぎず、丁度いい言葉は、ついつい言いすぎてしまう僕には深く突き刺さる。そんな言葉選びをしてしまう所が好きだ。それでいてラップらしく韻を踏んだり、少ない小節でストレートに伝えてきたりテクニカルな部分も感じさせてくれる。きいていてすごく心地が良い。
ライブでの魅力も抜群だ。DETOXのことを知らなかったであろう人まで、彼らの世界観に引き込まれてしまうような迫力があるのに、主張しすぎるわけでも媚びるわけでもないそのスタイルは僕の心を掴むのに十分過ぎるほどだった。
世紀末の詩/DETOX(2020)
2nd mini album「ネグニン」(DETOX)から、「世紀末の詩」という曲を。
紹介なのか、感想なのか、考察なのか、評価なのか、そのどれでもないのか分からないけど僕が感じたことをそのまま書きたいと思う。
'愛’について書かれた曲だ。その愛は恋人にむけてなのか、家族にむけてなのか、友達に向けてなのか、自分に向けてなのか。きっとそれはきき手が決めることで彼らが決めることではないと思う。
愛が体現化したものは目に見えるのに愛そのものは目には見えなくて、目に見えているモノは果たして本当に愛なのか、愛じゃないように見えるそれは本当は愛かもしれない、そんなことを思う。祭りで取った300円の水風船はきっと愛で、中学生の反抗期もきっと愛で、とか他人に言うには小っ恥ずかしいような自分と向き合える曲だ。
愛は絶対目には見えないの
でも見えてないのに消えないよう
形はないのに噛み締めて
形はないはずなのに抱きしめて
与えてるのに渡してなくて
貰っているのにどこにもなくて
そっちはどうだ?あったかい?
見当たらないけどここが温かい
サビの歌詞。この曲の良い部分はここだけじゃないんだけど。
ききたくなったらきいて下さい。